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被害者の神経症状による損害について、民法722条2項の過失相殺の法理の類推適用により、その60%を減額した事例

交通事故の被害者の神経症状による損害について、民法七二二条二項の過失相殺の法理の類推適用により、その六〇パーセントを減額した事例

東京地方裁判所判決/昭和63年(ワ)第8665
判決日付:平成6年7月28日

主   文

一 被告は、原告山崎春子に対し、金四八八万六九〇二円及びこれに対する昭和六一年一一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告山崎一夫に対し、金二二万円及びこれに対する昭和六一年一一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告らの、その余を被告の各負担とする。
五 この判決は、一、二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一 請求
一 被告は、原告山崎春子に対し、金五二〇三万二八三二円及びこれに対する昭和六一年一一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告山崎一夫に対し、金六〇九万五〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年一一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 当事者間に争いのない事実
1 本件事故の発生
(一) 発生日時 昭和六一年一一月二八日午前七時四〇分頃
(二) 発生場所 神奈川県横浜市緑区荏田町一二九番地先路上
(三) 加害車両 普通乗用自動車(横浜五三り九六一〇。以下「被告車」という。)
(四) 被害者 原告山崎春子(昭和九年八月一七日生。以下「原告春子」という。)
(五) 事故の態様 被告車が、別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)記載①の地点から同②の地点を通ってあざみ野方面に向かって交差点を右折進行する際、折から右交差点内の別紙図面記載の歩道から荏田駅方面へ向かって横断中の原告春子と(×)点で衝突した。
(六) 事故の結果 原告春子は、本件事故により、腰部打傷、両膝挫傷、左臀部打傷及び左座骨々折の各傷害を負い、昭和六一年一一月二八日から同年一二月二七日までの一か月間あざみ野整形外科病院(以下「あざみ野整形外科」という。)に入院し、その後同病院で昭和六二年二月二三日まで通院治療を受けて前記各傷害は治癒した。
二 争点
1 被告の責任
(一) 原告らの主張
被告は、本件事故発生場所を右折進行するに際し、右折方向を注視し、歩行者等の動静に注意すべき義務があるのに、右折しようとしている対向車に気をとられ、右折方向に対する注意を欠いたまま漫然と右折進行をした過失があるので、民法七〇九条に基づき原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。
(二) 被告の認否
原告の主張は争う。
2 原告春子の神経症状の存在及び本件事故との因果関係
(一) 原告らの主張
(1) 原告春子は、本件事故によって前記各傷害を負った外、頭部打撲があって、脳しんとう等による意識障害もあったところ、本件事故による神経症状として、昭和六一年一二月中旬頃から自動車の警笛又はエンジン音を聞くと顔色が青ざめたり、口唇や手指に振戦がみられるようになり、昭和六二年一月二八日から昭和大学藤ケ丘病院神経内科及び精神科において神経症との診断のもと通院治療を受けたが症状は増悪して、同年三月一六日、聖マリアンナ医科大学病院(以下「聖マリアンナ医大」という。)神経精神科を受診し、交通事故後遺症、神経症(不安)状態とのもと同年三月二〇日から同年六月五日まで同科において入院治療を受け、退院後、同科において通院治療を受けたが治癒せず、同年六月頃症状が固定したとの診断を受けた。
(2) 原告春子は、右症状固定後も、不安感、抑うつ感、自動車に対する強迫的恐怖心、尿失禁、記銘力の低下、言語障害、単純動作の繰り返し以外の日常生活の諸動作の困難及び一人では外出できない等の症状がみられ、現実吟味、意思伝達、仕事及び家族関係等についての判断、思考及び気分等の多くの面で粗大な欠陥がある状態であり、しばしば極めて不安定になり、滅裂で不適切な振る舞いがあり、随時介護を要する状態であるところ、本件事故前は、原告春子は、明朗な性格で会社勤めをして家事にも励んでいたのであるから、右各症状は、本件事故を原因とする外傷後神経症、頭部外傷後遺症、不安神経症又は心的外傷後ストレス障害である。
(二) 被告の主張
(1) 原告春子の神経症状と本件事故との因果関係
① 原告らが本件事故によって原告春子に発症したと主張する前記神経症状と本件事故との間には事実的因果関係がない。
すなわち、本件事故時の被告車の速度は、被告が原告春子を発見してから被告車が停止するまでの距離等からすると時速二〇キロメートル程度にすぎず、原告春子は、本件事故時に頭部には傷害等もなく、意識障害もなく、頭部のCTスキャン、脳波検査及び頭部のMRI検査の各結果もいずれも正常であったのであり、また、原告春子の前記神経症状には、他覚的な異常所見がなく、本件事故に関する主訴もわずかであって、主要な症状は無気力等であり、看護婦等への極めて依存的態度がみられることも併せて考慮すると、原告春子の前記神経症状は純粋に心因性の症状であるから、本件事故との間には事実的因果関係がない。
② 仮に、原告春子の前記神経症状と本件事故との間に事実的因果関係が認められたとしても、本件事故によってこのような神経症状が発症することは通常発生する結果ではなく、予見不可能であるから、相当因果関係がない。
③ 仮に、原告春子の前記神経症状と本件事故との間に相当因果関係が認められたとしても、原告春子の前記神経症状に原告春子の心因的要因が寄与していることは明白であり、その結果を全て被告に負わせることは公平に反するので、過失相殺の規定を類推適用し、或いは割合的因果関係の法理によって、大幅な減額をすべきである。
(2) 後遺障害の不存在
原告らの主張する原告春子の後遺障害は存在しない。
すなわち、原告春子の前記神経症状は、器質的変化を伴わず、他覚的な異常所見がないので、症状が不可逆的に、固定することはあり得ない。また、原告春子の前記神経症状は重篤なものではなく、昭和六二年六月五日に聖マリアンナ医大病院神経精神科を退院した際、症状は軽快していたのであるから、その後に後遺症が発生したものとは考えられない。
3 損害
(一) 原告らの主張
(1) 原告春子の損害
合計金五二〇三万二八三二円
① 治療費
金一万一六一〇円
ただし、昭和六二年八月二四日から同年一二月二九日までの間の治療費である。
② 通院交通費
金三万五三六〇円
③ 住居移転費
金九六万一四七〇円
原告らは、昭和六二年八月九日頃、原告春子の前記不安神経症の治療のため、本件事故現場付近であった住居を医師の指示により移転した。
④ 看護費
金四五万九〇〇〇円
原告春子の重度の不安神経症のため、延べ一〇二日間にわたり夫である原告山崎一夫(以下「原告一夫」という。)の介護を要した。看護費用は一日当たり金四五〇〇円に相当する。
⑤ 後遺症による逸失利益
金二七六三万〇三九二円
原告春子の前記不安神経症による後遺障害は、神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要する状態であり、簡単な家事等が漸く可能な状態であって、自賠法施行令二条の後遺障害等級の二級に該当し、労働能力を一〇〇パーセント喪失している。また、原告春子は、本件事故当時、訴外理研電子株式会社(以下「理研電子」という。)に勤務して給与を得ていたので、少なくとも同年齢の女子の平均賃金を基礎として逸失利益を算出すべきであるところ、症状固定時の原告春子の年齢は五二歳であったので、賃金センサス昭和六一年第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者五〇歳から五四歳の平均年収額金二五一万六二〇〇円に、五二歳から六七歳までの一五年の新ホフマン係数一〇・九八一を乗じて算出する(二五一万六二〇〇円×一〇・九八一=二七六三万〇三九二円)。
⑥ 傷害慰謝料
金一五四万円
原告春子は、前記傷害及び不安神経症の治療のために、延べ三か月間の入院及び延べ三か月以上の通院を要した。
⑦ 後遺症慰謝料
金一八〇〇万円
⑧ 弁護士費用
金三三九万五〇〇〇円
(2) 原告一夫の損害
合計金六〇九万五〇〇〇円
① 慰謝料
金五〇〇万円
原告一夫は、本件事故により妻である原告春子が前記障害等を被ったために家庭生活を破壊され、原告春子が前記の重度の後遺障害に苦しむのを目の当たりにしなければならないこと等によって被った精神的苦痛は甚大であり、慰謝料は金五〇〇万円を下らない。
② 弁護士費用
金一〇九万五〇〇〇円
(二) 被告の認否及び反論
(1) 原告らの損害額に関する主張は不知又は争う。
(2) 被告は、原告春子に対し、合計金二九二万九九九六円(治療費金一一三万七八六〇円、看護料金一八万六八七六円、その他金一六〇万五二六〇円の合計額)を支払った。
第三 争点に対する判断
一 被告の責任
1 本件事故の状況について検討するに、前記当事者間に争いのない事実に加えて甲一号証、乙八号証の一ないし四、被告本人尋問の結果によれば、次の各事実が認められる。
(1) 本件事故の発生場所は、たまプラザ駅方面から荏田駅方面に通じる道路(以下「荏田駅方面道路」という。)と国道二四六号線方面からあざみ野方面へ通じる道路(以下「あざみ野方面道路」という。)の交差する交差点(以下「本件交差点」という。)付近であり、本件交差点は信号機による交通整理が行われておらず、周囲は市街地である。
荏田駅方面道路の車道部分は、片側一車線であり、縁石部分を除く車道の幅員は上下線ともに約各三・一メートルであり、荏田駅方面道路には、車道の片側(北西側)にのみ歩道が設置されており、縁石部分を除く右歩道の幅員は約三・八メートルであり、右歩道部分とあざみ野方面道路とが本件交差点内で交差する部分には、横断歩道は設置されておらず、あざみ野方面道路の本件交差点内の車道の総幅員は約六・二メートルであり、本件事故現場付近の路面は、平坦なアスファルト舗装が施されており、本件事故発生場所の制限速度は毎時四〇キロメートルと定められている。
(2) 被告は、出勤途中に被告車を運転して荏田駅方面道路をたまプラザ駅方面から荏田駅方面へ進行して、本件交差点であざみ野方面道路へ右折をしようとする際、荏田駅方面から本件交差点へ進行してきた対向車の動静にのみ注意を払い、時速約三〇キロメートル程度の速度で右折を開始し、被告車が別紙図面記載③の地点に差しかかったところ、折から、原告春子が出勤途中、荏田駅方面道路の北西側道路を徒歩でたまプラザ駅方面から荏田駅方面に向かって進行してきて、本件交差点を横断中の原告春子を別紙図面記載(ア)の地点に発見し、急制動の措置を講ずるも間に合わずに、被告車の前部を原告春子に衝突させた。
原告春子は、被告車と衝突後、被告車のボンネット部分に撥ね上げられ、(イ)の地点で路上に転倒した。
(3) 被告車の見通し状況については、前方及び右方の見通しはいずれも良好であり、原告春子の見通し状況については、前方及び左方の見通しはいずれも良好であった。
2 以上の各事実によれば、被告は、本件交差点を右折するについては、交差点を横断する歩行者に特に注意をし、歩行者の横断を妨げないようにできる限り安全な速度と方法で進行しなければならない義務があるのに、これを怠り、対向車の動静に気を奪われ、原告春子の安全を確認しないまま漫然と右折して原告春子に被告車を衝突させた過失があるので、原告らに生じた本件事故と相当因果関係のある損害については、民法七〇九条に基づいて賠償すべき責任がある。
二 原告春子の神経症状の存在及び本件事故との因果関係
1 原告春子の本件事故後の症状について検討するに、前記当事者間に争いのない事実及び前記認定した事実に加えて甲一、二、七ないし一二号証、乙一ないし一三、一四号証の一ないし一〇、一五号証の一ないし五、一六ないし一八号証、証人平田進英、同伊丹昭の各証言、原告春子、同一夫、被告各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実が認められる。
(一) 原告春子は、夫である原告一夫と長男太郎(昭和三五年一月一〇日生)の三人家族の主婦であり、昭和四五年頃から本件事故当時まで、訴外理研電子に勤務して測定器の組立作業に従事していた。
原告一夫は、平成四年一〇月頃、原告らの依頼に基づいて、衣笠病院神経科医長で聖マリアンナ医大神経精神科講師をしている伊丹昭医師が原告春子の症状について私的に鑑定する際、本件事故前の原告春子の性格について、手八丁口八丁で気が強く、江戸っ子らしい性格で、打てば響くような話し方をした等と述べたが、昭和六二年二月一九日に昭和大学藤ケ丘病院精神科を受診した際のカルテには、病前性格欄に小心、内向的と記載されている。
(二) 原告春子は、被告車と衝突後、被告車のポンネットに撥ね上げられ、ボンネットから落下するまでの間、被告車が進行したのに伴って前方に運ばれ、結局、衝突地点からあざみ野方面へ約六・九メートル前方の地点(別紙図面記載(イ))で地面に転倒した。
被告は、被告車が停止した後、すぐに被告車から降りて、原告春子に近付いて大丈夫かどうかを尋ねたところ、原告春子は、腰の方が痛いと言って腰に手を当てようとしており、また、救急車が到着するまでの間に、原告春子の近所に住む女性が通りかかり、原告春子の様子を見にきた際、その女性に原告春子のバッグの中から原告一夫の勤務先の電話番号を記載した手帳を取り出して原告一夫に電話をするよう依頼し、この電話によって原告一夫は本件事故を知った。(なお、原告らは、原告春子は本件事故時に頭部を打って意識喪失があったと主張するが、①甲九号証(伊丹昭の精神鑑定書)及び原告一夫本人尋問の結果によれば、原告春子は意識を喪失していた時間について、意識を失った後気が付いたら知らない男の人が立っていたと述べたことが認められ、被告が被告車の停止後すぐに原告春子に近付いたことからすると、原告春子が意識を喪失したと主張している時間自体が瞬時であること、②その後の原告春子の行動は近所の女性に原告一夫の勤務先への連絡を依頼するなど的確な行動であること、③後記認定のとおり、救急車で運ばれた際、あざみ野整形外科において意識障害はないと診断されていること、④後記認定のとおり、昭和六二年二月一九日の昭和大学藤ケ丘病院精神科における受診時には、意識障害については不明であると診断されているにもかかわらず、同年三月一六日の聖マリアンナ医大病院神経精神科における受診時には、原告春子が意識障害があったと述べていること等からすると、原告春子には、本件事故によって意識の喪失があったとまで認定することはできない。)
(三) 原告春子は、昭和六一年一一月二八日から一か月間、腰部打傷、両膝挫傷、左臀部打傷及び左座骨々折の各傷害の治療のためにあざみ野整形外科に入院した。同整形外科の初診時には原告春子に意識障害はないと診断され、したがって頭部の治療は行われていない。
同整形外科に入院中、頭痛がして頭が朦朧とする(昭和六一年一二月一七日)、口唇と手が振るえる後遺症が出ている(同年一二月二〇日)等の訴えがみられたが、同年一二月二七日退院し、その後、同病院で昭和六二年一月五日から同年二月二三日まで一日ないし三日おきに通院して理学療法の治療等を受けて腰部打傷等の前記各傷害は治癒した。
(四) 原告春子は、昭和六二年一月二八日から、口唇並びに手指の振戦、頭痛及び一人では外出できない等の各症状を訴えて昭和大学藤が丘病院神経内科に通院し、神経学的検査、頭部CTスキャン及び脳波検査を受けたが、右各検査の結果にいずれも異常はなく、同科において、恐怖体験に基づく反応と診断され、同科から同病院精神科の受診を指示され、同年二月一九日から同科に通院するようになった。原告春子は、意欲の欠如、健忘、不安感及び振戦等の各症状を訴え、同科において、原告春子の意識障害は不明であるが、恐怖体験及び加害者との補償問題が速やかに進行していないこと等により外傷後神経症になっていると診断され、投薬による治療を受けた。同年三月五日には外出して買物ができるようになったと述べるなど改善もみられたが、その後も振戦、無気力等の症状を訴え、原告春子は、同年三月八日に調子が悪くなり、過呼吸症候群の症状がみられたため入院を希望した。
(五) 原告春子は、右のとおり入院を希望したため、昭和六二年三月一六日、昭和大学藤が丘病院精神科医師の紹介により、聖マリアンナ医大神経精神科を受診し、イライラ感が強い、四肢が振るえる、一人では外出できない、家事ができない、最近のことを忘れる等と訴え、交通事故後遺症、神経症状態との診断のもとで、同年三月二〇日から同年六月五日まで同科に入院して投薬を受け、音楽療法及び絵画療法等の治療を受けた。
原告春子への投薬の内容は、脳卒中、脳動脈硬化症並びに頭部外傷に伴う意欲低下、情緒障害並びに言語障害の緩解に適応する脳代謝賦活剤、精神症状改善剤(ホパテ)、脳梗塞後遺症並びに脳出血後遺症に伴うめまい、頭痛、抑うつ、不安、興奮並びに焦燥等の精神症状に適応する脳循環代謝改善剤(セロクラール)、不安、緊張、抑うつ並びに睡眠障害等の精神症状に適応する精神安定剤(コンスタン)、うつ病並びにうつ状態等に適応する精神用剤(ドグマチール)及びうつ病並びにうつ状態に適応する四環系抗うつ剤(ルジミオール)等である。
原告春子は、入院当初、今後自分がどうなるのか、夜眠ることができるか、朝起きることができるか等の様々な事柄に対する不安感、焦燥感を抱き、これを看護婦等へ繰り返し訴えており、ヒステリー的、神経症的又は心気的訴えが多い等とカルテに度々記載されており、また、一人でいるときにはきちんと歩けるにもかかわらず、他人がいると急にふらふらする、浴室で体を洗うことも自分ではできないと倒れそうになるが、看護婦が少々厳しく自分でするように促すと急に一人でできる等の行動があり、医師、看護婦、他の患者等に対する依存的傾向が強くみられた。しかし、入院後一か月ほど経過してから、原告春子自身が入院当初に比べて不安感、焦燥感等が減少してきたと感ずるようになり、昭和六二年四月二五日から同月二六日まで自宅での外泊を試み、以後同年五月一日から同月四日までの間、同月九日から同月一〇日までの間、同月一五日から同月一七までの間、同月二二日から同月二四日までの間及び同月二九日から同月三一日までの間に各外泊をした。右各外泊中自宅では、昼間に寝ていることが多い日があったものの、次第に掃除、洗濯等の家事ができるようになり、買物、食事の支度の手伝い等ができるまでに回復し、当初に見られた不安感及び焦燥感は消失して同年六月五日に退院した。
なお、原告春子は、聖マリアンナ医大神経精神科に入院中、尿に関しては、尿の出が悪いとの訴えに固執し(昭和六二年四月二日)、又瀕尿でくしゃみをした途端に少量漏れ、腹部が張る(同年八日)との訴えをしたことがあるのみで、他に失禁をしたとの訴えはない。
(六) 原告春子は、聖マリアンナ医大神経精神科を退院後、同科へ通院するようになり、退院後も自宅で掃除、洗濯等の家事を行い、近所に買物へも出掛け、夕食の献立を立てることも少しずつできるようになったが(昭和六二年七月一三日受診時)、新しい場所へ行ったときに尿の失禁がある(同年六月一五日、同年七月二七日、同年八月二四日各受診時)との訴えがみられた。そこで、神経精神科の担当医師が泌尿器科の受診を勧めたが、原告春子は失禁が止まってきたとして泌尿器科を受診せず(同年九月七日)、その後失禁の症状はほぼ止まるようになった(同年一一月二日、同月一六日、同月三〇日、同年一二月一四日、同月二一日、昭和六三年二月二三日各受診時等)。
原告春子、同一夫は昭和六二年八月九日、以前住んでいた横浜市緑区新石川四丁目三三番地四のマンションは、事故現場に近いことからか、原告春子の病状を考慮して、これを売却し、二駅離れた同区○○○三丁目一七番九号に転居した。
原告春子は、その後も家事を一応行い、買物にも行くことができるなど病状に顕著な変化はないものの、調子が悪く何もやる気がしない(昭和六三年二月八日各受診時)、手が振るえる(同年三月二二日、同年四月五日各受診時)、不安感がある(同年五月二四日、同年六月七日、同年七月五日、同月一九日、同年八月二日、同月一六日、同年九月六日の各受診時)等と訴えるようになった。
(七) 原告春子は、聖マリアンナ医大神経精神科の担当医師であった平田進英医師が聖マリアンナ医大から鶴川サナトリウム病院(以下「鶴川サナトリウム」という。)に異動したのに伴い、平成元年四月一五日から原告春子も同病院に通院を開始し、引き続き平田医師の担当で抗うつ剤等の投薬治療を受けている。
原告春子の鶴川サナトリウムに通院するようになった後の神経症状は、病状に顕著な変化はなく、家事を一応行うことができ、特定の場所への買物に行けるが、通院期間全般を通じて、不安感、恐怖感、手又は足の痺れ、外出時車への恐怖感があり、横断歩道を渡るのに躊躇するときがある、料理を同じものしか作れない、味付けがおかしい等の訴えがみられるというものであり、平成二年四月二七日頃に、耳鳴りを感じたために耳鼻科を受診し、通院治療を受けるなどした。
なお、原告春子は、鶴川サナトリウムに通院中にも、時折尿失禁がある旨を訴えているが、ごく少量であり(平成元年一二月二日受診時)、重い物を持たなければ平気であり(平成二年三月二六日受診時)、少し尿が近い(平成三年一月五日受診時)といった程度のものである。
(八) 平成二年七月一六日、保険会社の調査員が、原告春子の買物に行く様子を見ていたところ、道路の歩き方は普通であり、自動車が走行してきた際にも特別変わった様子は見られなかった。
そして平成三年六月、原告らは横浜市緑区荏田南の住居から、千葉県○○五一九四番地六の現住所に転居したが、平日は夫の仕事のため会社近くの借家に住み、週末は千葉の自宅で過ごしている。
2 以上の各事実を前提として、原告春子の神経症状と本件事故との因果関係について検討する。
(一) 原告春子は、頭部のCTスキャン、脳波検査、頭部MRI検査のいずれによっても脳の器質的異常所見が認められないものの、前認定の原告春子の症状に照らせば、本件事故による腰部打傷、両膝挫傷、左臀部打傷及び左座骨骨折の各傷害を負った外、本件事故を契機として、退行性変化をきたし、健忘、不安感、無気力感、手指の振戦等の神経症状が発症したことを認めることができる。この点、伊丹昭医師は、原告春子が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に該当するとしているところ、それは一般的に強い恐怖体験、例えばベトナム戦争での激しい戦闘の経験者やスクールバスがハイジャックされ生き埋めの危機にさらされた二五名の子供等が経験するような重大なものといわれており(甲一一号証「心的外傷後ストレス障害の現況」)、原告春子は、通常よくある交通事故にあったものであり、右の恐怖体験と同質とは言えないものであるから、同人の前記症状がこれに該当するものとは即断することができない。
もっとも、原告春子には本件事故前にはこのような症状がなかったこと(原告一夫本人により認める。)、外出時車への恐怖感があって横断歩道を渡るのに躊躇するときがあり、本件交通故発生の状況と同一状況に自己を置くことに躊躇があることを斟酌すると、病名が明らかにできないとしても、本件交通事故により前記の神経症状を呈するに至ったということができ、相当因果関係を有するものと認められる。
(二) 原告春子のこのような神経症状の発症については、後に説示するとおり、脳の器質的変化に基づくものではなく、原告春子の心因的素因が影響していると認められること、聖マリアンナ医大神経精神科の入院治療により原告春子の症状が相当程度回復したこと、補償問題が速やかに進行しないことも右神経症状の原因の一つとなっているものと考えられることを参酌すると、同神経科の治療を終えた昭和六二年一二月二九日以降一〇年間にわたり労働能力を三五パーセント喪失(自賠法施行令二条の後遺障害等級表九級一〇号所定の神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)した限度で相当因果関係を認めるのが相当である。
なお、伊丹昭医師は、原告春子が随時介護を要する状態であると鑑定意見を述べているが(甲九号証)、原告春子に関するカルテに記載がない事項につき原告らから訴訟外で聴取した事実に依拠して鑑定意見を形成したものであること(証人伊丹の証言)、及び前認定の事実に照らして採用することができない。また、原告らが本件口頭弁論終結後に提出した甲一三号証によれば、原告春子は平成六年三月三日に社会保険庁長官から障害厚生年金の障害の等級三級一四号に該当するものと裁定されたことが窺われ、同等級の障害の程度は、自賠法施行令二条の後遺障害等級表七級四号所定の神経系統等の障害に該当するものと認められるが、右裁定がいかなる診断書に基づいてなされたのか不明であり、右判断の妨げとなるものではない。
(三) なお、原告らは、原告春子には失禁の症状もみられたと主張し、前記認定のとおり、昭和六二年六月一五日の聖マリアンナ医大神経精神科受診時以降に時折尿失禁があった旨の主訴が見られるが、重い物を持つと少量の失禁がある等のその後の主訴からすると、泌尿器科系の疾患等が疑われるところ、医師から泌尿器科の受診を勧められたにもかかわらず、一時期軽快したとして受診していないために泌尿器科系の疾患等の疑いを払拭し得ないので、本件事故と因果関係のある症状とは認められない。
3 原告春子の前記神経症状は、前記認定のとおり、脳の器質的異常所見のないこと、看護婦、医師等の依存的対象がおらず一人の場合にはできることが、これらの人のいる場合にはできなくなったり、強く叱責されたような場合には適切な行動をとることができたり、不安感、無気力感等が聖マリアンナ医大神経精神科を退院した昭和六二年六月当時には、軽快していたにもかかわらず、その後暫くして再び増悪したこと等を併せて考慮すると、心因性の症状であると解され、原日本人の性格、心因反応を引き起こし易い素因等が競合して発症したものであり、右神経症状によって発生した損害のすべてを加害者である被告に負担させることは、損害の公平な分担という損害賠償法の基本理念に照らし、著しく不相当であるので、民法七二二条二項の過失相殺の法理を類推適用し、神経症状による損害については、その六〇パーセントを減額して被告に負担させることとする。
三 原告らの損害額
1 原告らの具体的損害額は、甲一二号証、乙七号証、一八号証、原告宣孝本人尋問の結果、前記認定の各事実及び弁論の全趣旨によれば、次のとおりと認められる。
(一) 原告春子の損害
(1) 治療費(請求は認定と同額) 金一万一六一〇円
ただし、聖マリアンナ医大神経精神科における昭和六二年八月二四日から同年一二月二九日までの治療費である。
なお、後記のとおり、被告は原告春子に対し、治療費として金一一三万七八六〇円を既に支払っているところ、少なくとも昭和六二年七月七日以降に支払われた内金二九万一七六〇円は聖マリアンナ医大の治療費であり、その余の金八四万六一〇〇円は、前記腰部打傷等の治療費であると認められる。
(2) 未払通院交通費(請求は金三万五三六〇円) 〇円
通院交通費の未払分については、証拠がなく、認められない。
なお、後記のとおり、被告は原告春子に対し、通院交通費として金七万八二六〇円を既に支払っているところ、治療費と同様に内金一万六五七〇円は聖マリアンナ医大への通院交通費であり、その余の六万一六九〇円は、前記腰部打傷等の通院交通費であると認められる。
(3) 住居移転費(請求は金九六万一四七〇円) 〇円
横浜市緑区××四丁目三三番地四のマンションから同区○○○三丁目一七番九号に転居したことが認められるが、それにどの程度要したか、又医師の指示があったことについて証拠がなく、認められない。
(4) 未払看護費(請求は金四五万九〇〇〇円) 金三三万三〇〇〇円
原告春子は、昭和六一年一一月二八日から同年一二月二三日まで、あざみ野整形外科に入院中付添を要する状態であった。そして昭和六二年一月二八日昭和大学藤ケ丘病院神経内科を受診する少し前から家に一人でいることを怖がって夫を出勤させず、出勤しても会社に電話をかけて「死にたい」等という状態であったので、原告一夫がその相手をせざるを得ない状態であったから、聖マリアンナ医大神経精神科入院時までの二か月間及び同科入院中に外泊許町を得て帰宅した延べ約二週間、並びに平田進英医師から同年六月五日退院予定であるが、六月五日から約一か月夫の看護が必要であると診断され、実際退院後約一か月間日常生活について会社を休んで指導したので、その期間について入院付添に準じて付添看護費を認めるのが相当である。
なお、後記のとおり、被告は原告春子に対し、看護費として金一八万六八七六円を既に支払っているところ、いずれも腰部打傷等の傷害に関する看護費であると認められるので、神経症状に起因する未払看護費としては、同年二月二〇日頃から聖マリアンナ医大入院までの約一か月間、外泊許可を得て帰宅した約二週間、退院後一か月間の合計七四日間について一日あたり四五〇〇円として算出するのが相当である。
(5) 後遺症による逸失利益(請求は金二七六三万〇三九二円) 金七一八万〇一四〇円
甲第一二号証、原告春子、同一夫各本人尋問の結果によれば、原告春子は、本件事故当時、訴外理研電子に勤務し、月額金一三万三三六〇円を得るとともに家事労働に従事していたことが認められるので、逸失利益については、賃金センサス昭和六二年第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者五〇歳から五四歳までの平均年収額金二六一万二一〇〇円及び同五五歳から五九歳までの平均年収額金二七一万三五〇〇円を基礎として算定し、労働能力喪失率は三五パーセントとし、中間利息の控除はライプニッツ係数によるのが相当である。
二六一万二一〇〇円×〇・三五×四・三二九+二七一万三五〇〇×〇・三五×(七・七二二-四・三二九)=七一八万〇一四〇円
(6) 入通院(傷害)慰謝料(請求は金一五三万円) 金一三〇万〇〇〇〇円
原告春子の前記腰部打傷等の各傷害の治療のために、一か月間の入院と延べ二か月間の通院を要したので、前記傷害についての慰謝料は、金八〇万円が相当である。
原告春子の前記神経症状の治療のために、約二か月間の入院とその後通算一か月以上の通院を要したので、前記神経症状についての慰謝料は、金五〇万円が相当である。
なお、後記のとおり、被告は原告春子に対し、慰謝料の一部として金三〇万円を既に支払っているが、これは腰部打傷等の傷害に関する慰謝料であると認められる。
(7) 後遺症慰謝料(請求は金一八〇〇万円) 三〇〇万円
原告春子は、神経症状が出現したことにより、一〇年間にわたり自賠法施行令後遺障害等級表九級一〇号所定の後遺障害を残したこと、このため前示のとおり各種の症状を訴えていること、その他本件に顕れたすべての事情を考慮すると右後遺症による精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円が相当である。
(8) 休業損害
後記のとおり、被告は原告春子に対し、休業損害として金一二二万七〇〇〇円を支払っているところ、治療費及び通院費と同様に内金四八万円は神経症状による休業損害分であると認められる。
(二) 原告一夫の損害
慰謝料(請求は金五〇〇万円) 金五〇万円
原告春子に前記神経症状が出現したことによる原告一夫の精神的苦痛に対する慰謝料は金五〇万円が相当である。
2(一) 原告春子分
(1) 既払金は、乙一八号証によれば、治療費一一三万七八六〇円、休業損害一二二万七〇〇〇円、看護料一八万六八七六円、通院費七万八二六〇円、慰謝料の一部として三〇万円の合計二九二万九九九六円であるが、前示のとおり、このうち治療費二九万一七六〇円、通院交通費一万六五七〇円休業損害四八万円合計七八万八三三〇円が神経症状についての支払いであり、治療費八四万六一〇〇円、付添看護料一八万六八七六円、通院交通費六万一六九〇円、休業損害七四万七〇〇〇円、慰謝料三〇万円の合計二一四万一六六六円が腰部打傷等の傷害のための支払いであると認められる。
(2) 神経症状についての損害合計は、次のとおり一一八一万三〇八〇円である。
先ず、実際の損害額は、治療費一万一六一〇円、付添看護料三三万三〇〇〇円、逸失利益七一八万〇一四〇円、入通院慰謝料五〇万円、後遺症慰謝料三〇〇万円、既払治療費二九万一七六〇円、既払通院交通費一万六五七〇円、既払休業損害四八万円の合計一一八一万三〇八〇円である。
そして、原告春子の神経症状に関する損害部分については、前説示のとおり、民法七二二条二項の過失相殺の法理を類推適用して六〇パーセントを減額すべきであるので、被告が賠償すべき神経症状に関する損害額は、四七二万五二三二円となる。
(3) 腰部打傷等に関する損害部分は、既払治療費八四万六一〇〇円、既払付添看護料一八万六八七六円、慰謝料八〇万円、既払通院交通費六万一六九〇円、既払休業損害七四万七〇〇〇円の合計二六四万一六六六円である。
以上損害合計は、七三六万六八九八円となる。
(二) 原告一夫分
前記原告一夫の損害も過失相殺の法理を類推適用して六〇パーセントの減額をすべきであるので、被告が原告一夫に対して賠償すべき金額は金二〇万円である。
五〇万円×〇・四=二〇万円
四 原告春子の損害の填補
前認定のとおり、被告は、原告春子に対し、本件交通事故による損害賠償金として金二九二万九九九六円を支払っているから、原告春子の前記損害額金七三六万六八九八円から右既払金を控除すると、金四四三万六九〇二円となる。
五 弁護士費用
弁護士費用については、本件訴訟の経過等に鑑み次のとおり認めるのが相当である。
1 原告春子分   四五万円
2 原告一夫分    二万円
六 以上の次第であるから、原告らの請求は、原告春子が被告に対し、金四八八万六九〇二円及びこれに対する本件事故の日である昭和六一年一一月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、原告一夫が被告に対し、金二二万円及びこれに対する本件事故の日である昭和六一年一一月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度でそれぞれ理由があるから認容することとし、その余はいずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官南 敏文 裁判官大工 強 裁判官近藤宏子)

 



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